北原白秋作詩・山田耕筰作曲の校歌。旧制豊中中学・新制豊中高校の生徒に綿々と歌い継がれているこの校歌にはいくつかの変遷がありました。
校歌が制定されたのは開校から10年以上も経った1936(昭和11)年のことでした。第2代林真英校長の発案で、当時のゴールデンコンビ、北原白秋・山田耕筰両氏に依頼することになりました。完成した校歌は、1936(昭和11)年1月17日、山田耕筰氏が来校され、講堂に参集した全校生徒の前で自ら歌い指導するという形で発表会が行われました。
1948(昭和23)年、新制高校として発足した豊中高校では、2番の「勤倹尚武」という歌詞が戦後の新しい時代に合わないなどの理由で、校歌が歌われない時期がありました。その状態は約8年間続きました。
その間、新校歌を作ろうとする動きもありましたが、生徒議会の「豊中中学校校歌の第1節及び第3節を校歌として採用する」という議決を経て、1955(昭和30)年の職員会議で「旧校歌2節の『勤倹尚武』を除いて第3節の『協同進取』を替わりに入れて、第1節・第2節を以て校歌と定める」と決定されました。
こうして生まれた新校歌は、1955(昭和30)年9月16日に制定が発表されました。
北原白秋・山田耕筰のゴールデンコンビによる校歌は数多く作られていますが、大阪府の公立高校では豊中高校の校歌が唯一のものです。
福岡県柳川市にある白秋の生家を復元した北原白秋記念館には山田耕筰自筆の「豊中中学校校歌」の楽譜と、1979(昭和54)年にボニー・ジャックスがレコーディングした新校歌のレコードおよびジャケットが展示されています。 |
記念事業の一環として、校歌レリーフを豊陵ホールと体育館に設置します。 |
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校歌レリーフ(イメージ) |
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校歌を聴く |
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北原白秋自筆の豊中中学校校歌 |
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山田耕筰自筆の豊中中学校校歌楽譜 |
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